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YAMANOTE STORY東京山の手

「旧江戸朱引内図」東京都公文書館蔵
東京山の手。これほど愛されてきた高台があるだろうか。時代を超えて愛される、山の手400年の物語。

天下普請。山の手生活の萌芽。江戸時代から変わらず山の手は憧れを集めています。 天下普請。山の手生活の萌芽。 台地から強固な地盤に栄えた山の手エリア。
時の有力者に愛されてきた憧れの地。

往時の武家屋敷の姿が偲ばれる「津藩藤堂家下屋敷裏門」(徒歩4分/約320m)
往時の武家屋敷の姿が偲ばれる
「津藩藤堂家下屋敷裏門」
(徒歩4分/約320m)

武家屋敷エリアの
代名詞となる山の手。

徳川家康から家綱まで、50年あまりの歳月をかけた「天下普請」によって、江戸の町の基礎は形成されました。京橋・日本橋・神田といったエリアには商人のための下町が形成され、江戸城を核としたエリアには大名の武家屋敷が建てられました。武蔵野台地の東には下屋敷が多く構えられ「山の手」と言われるようになったのです。

徳川家の所領「御府内」、
さらに町奉行所管轄「墨引」の内側。

江戸後期になると、江戸幕府は在郷の境を明確化するために「江戸朱引内図」を作成、朱引線により徳川家の所領地の範囲を定め、さらにその内側に墨引線を引き町奉行所の管轄範囲を定めました。ここ駒込も言うまでもなく朱引および墨引の範囲内。江戸城を見守る要衝として形成・発展してきた山の手の証といえるでしょう。

「旧江戸朱引内図」東京都公文書館蔵
「旧江戸朱引内図」東京都公文書館蔵

永い歳月が固めた地盤、
武蔵野台地。

「武蔵野台地」が誕生したのは10万年以上前。5万年前には現在に近い形となり、3万5千年前には人が生活を営んでいたようです。その武蔵野台地の東端にあたる「駒込」。地名の由来は古く、日本武尊が東征の道すがら味方の勢を見て「駒込めたり」と言ったからだと伝えられています。

国土地理院技術資料を一部加工
国土地理院技術資料を一部加工

よき趣味を尊ぶ
大名の別荘、下屋敷。

大名の下屋敷が広がっていた「山の手」。下屋敷は大きな庭園なども設けた別邸・別荘としての役割が大きく、都心とほどよく距離を保った静穏な高台で趣味や感性を悠々と磨く山の手スタイルが誕生しました。大火事や震災時の避難場所という機能も伴っていたこともあり、下屋敷は地盤の安定した高台に建てられたのです。

永い歳月が固めた地盤、
武蔵野台地。

「武蔵野台地」が誕生したのは10万年以上前。5万年前には現在に近い形となり、3万5千年前には人が生活を営んでいたようです。その武蔵野台地の東端にあたる「駒込」。地名の由来は古く、日本武尊が東征の道すがら味方の勢を見て「駒込めたり」と言ったからだと伝えられています。

国土地理院技術資料を一部加工
国土地理院技術資料を一部加工

武家屋敷エリアの
代名詞となる山の手。

徳川家康から家綱まで、50年あまりの歳月をかけた「天下普請」によって、江戸の町の基礎は形成されました。京橋・日本橋・神田といったエリアには商人のための下町が形成され、江戸城を核としたエリアには大名の武家屋敷が建てられました。武蔵野台地の東には下屋敷が多く構えられ「山の手」と言われるようになったのです。

往時の武家屋敷の姿が偲ばれる「津藩藤堂家下屋敷裏門」(徒歩4分/約320m)
往時の武家屋敷の姿が偲ばれる
「津藩藤堂家下屋敷裏門」
(徒歩4分/約320m)

徳川家の所領「御府内」、
さらに町奉行所管轄「墨引」の内側。

江戸後期になると、江戸幕府は在郷の境を明確化するために「江戸朱引内図」を作成、朱印線により徳川家の所領地の範囲を定め、さらにその内側に墨引線を引き町奉行所の管轄範囲を定めました。ここ駒込も言うまでもなく朱印および墨引の範囲内。江戸城を見守る要衝として形成・発展してきた山の手の証といえるでしょう。

「旧江戸朱引内図」東京都公文書館蔵
「旧江戸朱引内図」東京都公文書館蔵

よき趣味を尊ぶ
大名の別荘、下屋敷。

大名の下屋敷が広がっていた「山の手」。下屋敷は大きな庭園なども設けた別邸・別荘としての役割が大きく、都心とほどよく距離を保った静穏な高台で趣味や感性を悠々と磨く山の手スタイルが誕生しました。大火事や震災時の避難場所という機能も伴っていたこともあり、下屋敷は地盤の安定した高台に建てられたのです。

文明開化。山手線開通の至便。正式な山手線は、「駒込」駅を含む品川〜田端間のみです。 文明開化。山手線開通の至便。 元祖・山手線の称号が許される、限られた駅。
明治より近代化を続けた本来の山の手。

一世紀にわたり
山手線のなかの山手線。

山手線の歴史は品川~新宿~田端間を原型として開発されました。1903年、山手線の黎明期より開業していた「巣鴨」、追って1910年開業の「駒込」も、一世紀以上にわたりその歴史をともに歩んできた元祖・山手線と言えます。

JR駒込駅(約680m/徒歩9分)
JR駒込駅(約680m/徒歩9分)

新興の山の手に対し、
「真の山の手」の重み。

戦後の高度経済成長期の人口流入により、沿線や住宅地の開発が急務となり、すでに邸宅街を形成していた山の手からさらに西へむかって開発が進み、「新興の山の手」とも呼べる住宅エリアが形成されていきました。元来の山の手地域は「真の山の手」と呼ばれ、現在も高い人気を博しています。

染井通り(約290m/徒歩4分)
染井通り(約290m/徒歩4分)

日本初の鉄道とともに
産声を上げた、山手線。

都心を巡る大動脈として鉄道輸送の基幹を担う山手線。山手線の原型となる「品川線」が誕生したのは、1885年。
品川~新宿~赤羽間が開通します。やがて年間乗車人数が1,000万人を超え、これに応えて1903年、池袋~巣鴨~田端間「豊島線」が開通。
それに先立つ1901年、「品川線」「豊島線」を統合する形で「山手線」が生まれました。1925年、ついに環状運転が開始され、現在に至っています。

1885年(明治18年)山手線最初の開業区間品川〜新宿〜赤羽間が開業
1903年(明治36年)池袋〜田端間が開通し「山手線」の路線名が誕生
1925年(大正14年)最後の上野〜神田間が繋がり環状運転のスタート

山手線開発概念図
出典:「山手線 みんなの鉄道 DVD BOOK シリーズ」株式会社メディアックス

大型開発。資産価値の高まり。今、山手線沿線の高い資産性が注目されています。 大型開発。資産価値の高まり。 圧倒的人気と利便性を誇る山手線沿線。
再開発機運により高まる将来期待値。

住みたい沿線No.1。
山手線エリアの人気。

今や、「住みたい沿線」として圧倒的な人気を誇る山手線。「住みたい沿線ランキング」で、堂々1位。2位の東急東横線とは大きな差をつけてトップであることからもその人気の高さは分かります。(※1)路線別の分譲単価上昇率で見てみても、首都圏の通勤路線14線のなかで、東海道・京浜東北線、京急本線、総武・総武快速線など並みいるメジャー路線を抑え、トップの価格上昇率となっており、人気の上昇を裏付けています。(※2)

「住みたい沿線ランキング」

順位 路線名
1 山手線
2 東急東横線
3 中央線
4 京浜東北線
5 東急田園都市線
6 丸の内線
7 東西線
8 総武線
9 京王線
10 小田急線

暮らしやすさ、将来性、資産価値。
山手線の強さ。

アクセス性が高いだけでなく、実は暮らしやすい山手線。駅周辺の生活利便施設が充実しており、他線に比べても暮らしに関わる施設が多いのが特長です。また、山手線は沿線上に大型再開発も多く、今後も沿線力・駅力はますます高まっていくことが予想され、現在だけでなく、将来期待値の高い沿線とも言えます。山手線はそのアクセス性の高さ、暮らしやすさ、資産性によって、これまでの「通勤地」イメージから、「居住地」イメージに大きく転換しています。

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※1 「スーモ」2016年住みたい街ランキングを基に株式会社トータルブレイン作成。※2 株式会社トータルブレイン「沿線別単価上昇率ランキング」資料より。